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Takumi’s blog

文章にして輝く思い出

俺の写真論

 

 
最近の写真はクソばっかりだ!
撮影者の感動も、何を伝えたいのかも全然伝わらない!クソだ!クソクソ!
 
という内容の文章をFacebookで書いている人がいて、「うわ、なんだこの人痛いな・・・」と思いつつ、この人はじゃあどんな写真を撮っているんだろうと思って見たら、確かに良い写真だった。
 
考えてみれば、俺もクソな写真を量産してきた。
それを嫌だと思いつつも、撮ったものを「良い写真だ」と思い込むことで自分を騙し、甘やかしてきた。
理由は、撮ろうと思っても撮れないから。
 
多分、同じ境遇の写真家がこの世の中には沢山いるんだと思う。
けど、そのぱっと見だけのクソな写真が評価されるのが今の世の中の風潮で、だからこそ彼らは、俺は、甘えてしまうんだろうと思う。
 
 
我々はまず原点に立ち返って、『自分はどんな写真を撮りたいのか』を考えないといけない。
本当に撮りたいものを撮らなければ本当に良い写真というのは生まれない。
 
俺の撮りたい写真はこう。
 
懐かしさ、切なさを感じるような写真
自分の好きなもの(主に可愛い女の子)の写真
飾らず偽らない、被写体のありのままを写した写真
将来の自分が見て楽しめる写真
 
あとはやっぱり欠かせないのが、見た人が楽しめるかどうかってこと。これも大事。
 
 
可愛い女の子の写真を撮るのは楽しい。
だけど、撮ってて(なんか違うんだよなぁ)っていう気持ちに陥る。
 
それはやっぱり、本当の意味で『自分の好きなもの』じゃないからなんだと思う。
顔が可愛い女の子は確かに被写体として価値がある。
だけどそうじゃない。それだけじゃない。
 
大事なのは、俺がその女の子に恋をしているかどうか。
 
写真には、撮影者の感情が表れる。
ただモデルさんを可愛く撮ろうと必死になって撮った写真なのか、モデルを心から素敵だと感じながら撮った写真なのか。
それは人だけじゃなく風景や物にも言える。
 
簡単に言えば、写真家が興奮しながら撮った写真が良い写真になるんだと思う。
撮ることに夢中になって被写体の声なんか耳に入らなくなって、ただ何も考えずにシャッターを切って、そうして最高の写真は生まれる。
 
そのとおりだ!って言う人と、何だその感情論?って人がいると思うが、それは仕方が無い。
センスがある者同士にしか伝わらないことってあるよね。
 
 
うーーん、なんか寝起きで適当に思いついたこと書いたけど、これって結局は「好きなものを撮りたいように撮るのが一番!」の一言で片付いてしまう気がする。
好きなものを撮りたいように撮るのって本当はすごく難しいことなんだねって話だね。
 
ちなみに今日は、 
・懐かしさ、切なさを感じる
・俺の好きなもの
・飾らず偽らない
の三拍子がそろった写真を撮ることができた。
女子中学生というのは俺の“撮りたい”を象徴するものだと言っても過言ではないかもしれない。
おいらその内逮捕されるかもしれんね。
 
 
多分言いたいこと全部言えてないだろうけどとりあえずおわり!