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Takumi’s blog

文章にして輝く思い出

曖昧な自分

『不安定な自分』

いつからだろう。

心の底から「寛ぐ」という事が出来なくなってしまったのは。

 

気がつけば、自分の家に居ても、家族と一緒に居ても、幼少期の頃のような安心感は得られなくなっていた。

成長する中で両親や兄弟を人として好きではなくなってしまったからなのか、自分が家族にとって不要な存在だと知ってしまったからなのかは分からない。

だから俺は、もう感じることのできなくなってしまった安心感というものを欲しているのだけど、それは叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。

最愛の人と結婚して、子供ができて、家を買って。そうして縁が切れる事のない一生物の『家族』というものを手に入れれば、もしかしたら今度こそ本当に居心地の良い居場所が得られるんじゃないかなと思う。

だからそれまでに、家族に安心感を与えられる人間になろう。

というかまず彼女を作ろう。

 

『曖昧な自分』

 

俺は清清しいほど他人の影響を受けやすい人間で、逆にそこに一本芯が通っているのではないかと思う程に芯が無い。

それ故に、人格形成において毒親である母の影響をかなり色濃く受けている。

例えば、これはここ最近知った事なのだが、俺は何の根拠も無く父方の祖母を嫌っていた。

幼少期の頃から母が散々祖母の悪口を言っていたので、俺は当時大好きだった母の機嫌を取る為必死に同調し、そうしていく中で本当に祖母を嫌うようになっていった。

 

昔から、祖母は俺たちにあまりお年玉をくれなかった。

小学生の俺は別にそんなもの貰わなくても、おばあちゃんの家に遊びに行きたかった。

けれども母が「お年玉もくれないケチなおばあちゃんの所になんか行きたくないよね?ね?そうでしょ?」と半ば無理やり言わせてくるものだから、芯の無い俺はそれを自分の考えだと思い込んでしまっていた。

そして時々祖母の家に行くと、母は「おばあちゃんにお小遣い頂戴って言ってきな。少なかったらもっとねだらないとダメだよ」というようなことを言った。

俺はそれに従い、祖母にお金をせびった。

貰えなかった時は、あからさまに態度に出した。

 

こんな意地汚い嫌なガキを誰が可愛がるだろう。小学校の教師にも散々嫌われていたが、今思うとそんなの当然のことだ。

正直、俺はあり得ないほど最低な子供だった。

だけど、それでも、祖母はそんな俺にいつも優しくしてくれていた。

一昨年久々に会った祖母は病院の白いベッドに横たわっていて、一瞬別人と見違えるほどに弱っていた。少しぼけていたけれど、ちゃんと俺のことを覚えてくれていて、少ない年金の中から一万円も俺にくれた。

俺は本当は優しいおばあちゃんが大好きだった。

おばあちゃんはいつも、「今度遊びに来たときはお小遣いあげるからね」と言って、代わりにお菓子をくれた。実際、2~3回に一度は五千円なり一万円なりくれた。

考えてみれば父は八人兄弟で、それに伴って俺の従兄弟、おばあちゃんの孫も20人近くいるわけで、全員にお小遣いなんかあげられる訳が無いのだ。

そんな簡単なことに、20歳になってようやく気づいた。何も知らずに金をせびって、祖母の生活を苦しくさせていたのだ。本当にゴミクズとしか言いようが無い。

もし祖母が生きている内にまた会う事が出来たなら、せめてもの償いと、それから感謝の意味を込めて、絵手紙を添えて加賀棒茶と九谷焼の湯呑みでもプレゼントしよう。

だから次に会うときまでどうか、俺を忘れないでいてほしい。