Takumi’s blog

文章にして輝く思い出

人と花

土手一面に綺麗に咲き乱れてる菜の花の一輪を手に取って眺めると、細部まで美しく造形されてるなぁと思う。誰に見られる訳でも無いのになぁ、と。いや、花がわざわざそんな事まで考えて咲いてるだなんて、俺だって本気で思ってる訳じゃないんだ。けれど、俺は二十一歳になった今でも、どうしても自分自身の価値観に当てはめて色んな物事を考えてしまう節がある。 今日は市役所とウェスタ川越に用があって外出した。ウェスタ川越から歩いて帰る途中、すれ違う人たちはみんなオシャレだった。眼球を目まぐるしく動かして、あっちの人こっちの人の服装に注視して歩く。赤、青、黄色、緑。一人一人違った色の服を着ていて、それが街に溶け込みアクセントのようになっている。そして自分の着ている服を見る。ズボンは黒いジャージで、上は中学生の時に親に買ってもらったジャンパー。当時からかなりブカブカで、今でもちょっと緩い。オシャレとはかけ離れていて、どちらかと言うとみすぼらしい恰好だと思う。相対的にオシャレしている人とオシャレしていない人を見ると、俺のように法律に従って、または防寒目的で服を着ているという人間の方が圧倒的にマイノリティだ。大体みんなオシャレしていて、それこそ俺からしたら恋人との初デートでも行くのか?ってくらい気合いが入ってる。そんな日常的にフォーマルな意識で生活をしていたら、俺なら疲れてしまう。そもそも都会の人間は他人になんて1mmも関心が無いのだから、一人で出かけるのにオシャレなんかする必要無いのだ。と俺は思うが、どうやら世間一般の考え方としてはそうでは無いらしい。オシャレとは一体何なのか?川越駅西口から南古谷まで徒歩で帰る長い田んぼ道の途中、ずっと考えていた。ここで冒頭に戻るが、そこで俺は土手一面に咲く菜の花と出会った。一輪の菜の花を無情にもひきちぎってそれを眺めると、本当に細部まで完璧に美しく作られていて、それをまじまじと見つめていたら何かが分かったような気がした。そうだ、街ですれ違った沢山の人はみんな花なんだ。みんなそれぞれ違ってみんな綺麗で、だからこそそれを選んで買う人がいて....。なら、俺は一体何なんだろう。人はみんな違う種を持っていて一生懸命に花を咲かせようとすればいいとSMAPは言うけれど、俺は種なんかいらないし花なんか咲かせなくていい。雑草みたいにその辺に生え散らかっていたい。いや、むしろ芋のように土に埋まっていたい。そうすれば誰も俺に気付かないし、花も咲かせなくてもいい。いや、芋は花が咲くか。じゃあもううんこでいいや。道端の犬の糞。みんながみんな花じゃない。花があって、木があって、草があって、うんこがある。世の中にはお洒落なJKもいればハルヒの格好をしたおじさんもいる。大切なのはみんなが花であることじゃなくて、ダイバーシティが認められる世の中であることなんじゃないのかな。俺はそう思う。いやまじでこれ何の話?

おわり。