Takumi’s blog

文章にして輝く思い出

フラジル

オーストラリアに来てからまともな日本人に会っていない。どいつもこいつも頭がいかれてる。と、くだらない愚痴をこぼす俺に対し、三十以上歳の離れた友人は笑いながら言う。うわー出た出た、お前はそろそろ周りじゃなくて自分がおかしいって事に気付いた方がいいよ。は?いやいやいや、絶対にありえないですよ。内心では友人の憎めない軽口を心地よく感じつつ、口調を荒くして言い返す。それからお互いの近況報告やら起業についての話し合いやら雑談を交わし、電話を切った。スマホをポケットに捩じ込み、ふぅ、と大きく息を吐く。アパートの屋上、九時前の空はまだ青みがかって、夏風はほんの少し温かさを孕んでいた。真新しい緑のペンキで塗られた生ぬるい手すりに凭れて穏やかな夜に黄昏れ、先程の会話を反芻する。考えてみると俺の唯一通話をする日本の友人はこの年の離れたオッサンだけなんだな。と改めて事実を認識し、一種の異端さのようなものを自分に感じると同時に面白くも思えて、ふっと笑みが溢れた。階段をかけ降りて部屋に戻ると、ルームメイトの日本人の無職の男性が今日も部屋でギターを弾いていた。窓を閉めきられた部屋は暑く、そしてワキガ臭で充満していた。それから男性は深夜0時を過ぎるまでギターを弾いていた。微睡みの中で、俺はただひたすら気が狂いそうだと思った。そういえば、その前の晩もその前の晩も、同じ事を思っていた。誰だろう。誰だろう。
気が狂っているのは誰だろう。

今年もありがとうございましたぁーー

あい。
今年も終わりなのでね、どっかになんか書こうかなーと思って、けど今の俺は何もかも志半ばだからそんな事する権利も無いよな、とか思って。でもまあこの誰も読んでないチラ裏のブログに書くくらいなら許されるだろうと思って書きにきた。ゆるーくてきとーに書いてくぜ。

皆さんの一年はどうでしたか?楽しかったですか?おいどんはわりと楽しかったでごわす。(未だにブログの一人称が定まらない)
振り返ると、とにかく出会いと別れが沢山あったなぁという感じがします。
まずは四月に仕事を辞めたことからだな。職場の人たちとの別れですね。
そこにいた時はただ同じ場所で働いてるから仲良くなっただけという程度の認識だったけど、今思うとあんなに個性的で面白い連中と出会えたのは奇跡なんじゃね?ってくらいに感じる。百人近く働いてて嫌いな人が一人もいない職場なんて普通はあり得ないよね。
最近、また会いたいなぁとふと思うことがたまにある。あの場所でみなさんといっしょに働けたことは俺の誇りです。

んで五月はフィリピンに行きましたねー。実は人生初の海外でけっこうドキドキだった。色んな意味で。
ゲイに身体まさぐられた挙げ句財布スられたりしたけど、それはさておき全体的にはとても楽しかった。ホモはウソつきって本当なんだなぁと思った。(ホモの皆さんすいません)(ちなみに犯人は日本人です)
発展途上国の生活に触れて、色々見て感じて考えて、軽い人間だと思われるかもしれないけど見識は広がったし価値観も多少は変わったと思う。
フィリピン人の友達ができたし、素晴らしい人にも会えたしね。ホームステイの家の子がお別れの時に泣いてくれて、そんなこと人生で初めてだったから嬉しかったなー。。なんていい話で締め括れれば良かったんだけれども、クソ馬鹿な俺はとんでもない無能を晒した。判断力を欠いた悪手、そしてその後もできることがあったはずなのに中途半端で放棄してしまった。悪い大人から大事な友人を守らなかった。何をすべきか迷った時は、どちらを切り捨てるべきかちゃんと天秤にかけてはからないと後で後悔することになる。それを痛感した痛みが今も残ってる。いじめを知りつつ止めようとしない奴が加害者というのは紛れもない事実だ。

っと、話がだいぶ逸れたな。私情を挟みすぎてる気がする。けどまあそもそもこれは自分語りブログだからな。5セントあげるから許してくれ。(4円)

さて、んで日本に帰って、そっから半年間なにしてたっけな~。
うーん、、、思い出せん。
勉強したりバイトしたり遊んだりって感じか。クズやな。
勉強は中学の頃とかテスト前でも一日一時間も勉強してなかったから、正直キツかった。どっから手をつければいいかも分からんし、やっても理解できんし。明日は十時間やるぞ!とか思ってもできた試しが無い。記憶力悪いし頭も悪いのに普通の高校生より遅いペースでやってたら難関大学なんか受かる訳ないよなぁと思いつつも頑張れない自分に失望する毎日。工場やスーパーで働く友人を見下してたつもりが気付いたら見上げるようになってることに気づいた時、俺は図書館に行って勉強をせずにクソみたいな哲学書を読み耽ってた。勉強自体は全然苦痛でもなんでもないのになぁ。それより楽しいことがあったらそっちに流されてしまう。多分、ここで踏ん張って這い上がらなきゃ俺は落ちるとこまで落ちていく。つっても踏ん張った先にゴールが見えてる訳でも無いんだがな。普通に生きてたら不幸になるしかないこの時代に俺みたいな低スペがどうすれば幸せになれるのか、教えてくれよエロい人。


そういや1月に成人式があったね、忘れてた。なんか、成人式で中学の時の友達に会って、封印してた記憶が蘇ると共に交流が途絶えてしまっていたことを勿体無く感じたりして、結構色んな奴に連絡先きいてラインしたりしたな。
女子はそもそもそんなに仲良い人がいなかったけど、まあ一人二人とはまた仲良くなれて、男子も三、四人と遊ぶ約束をしたりした。(結局まだ二人しか遊んでないけど)


そして失業保険を満額ゲットしオーストラリアへ。
ってことでここからは近況報告になるけど、まずひとつめ。
警察にパクられた。
マリフ○ナじゃないよ。
路面電車乗り間違えて無料区間はみ出してしまって、降りたら運悪く警察が取り締まってた。
一応まだ情状酌量の余地はあるらしいけど、罰金2万払う事になるかもしれん。はぁ。
あと俺がいつも身につけて離さないメモ帳をなくした。はぁーーーー。
いやぁーー気が滅入るなぁ。銀行のカードもなんか知らんけど届かないし。配送屋の営業所で止まってるんだろうな。あーめんどくさ。
まじでなんも良いことねえ。
クリスマスに教会に行って(神道の汎神論では多分許される)「おっ、なんかこれ真のクリスマスの過ごし方っぽいな?」とか思って悦に入ってても結局はインスタ開いてマウンティングゴリラの群れに殴り殺されるしな。
金はねーし彼女も友達もいねーし予定もねーし持ってきた外付けHDDぶっ壊れたし。
あと俺そこそこ良い写真撮ってる気がするのにぜんっぜん評価されない。まあいいけどさ。

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こんな感じです。いかがでしょう?
インスタに載せてもいいねは10もつかないし、言葉で「いい写真だね!」って言ってくれる人も一人か二人しかいない。
ただ、俺は写真を撮るのが楽しくてやってるだけだし、器が小さいから3つのいいねで承認欲求も満たされる。
それに仕事でやってる訳でも無いから、俺が見せたい人に見せられればそれで十分だしね。知名度が無いからこそ特別感は生まれるし、それは俺にとって知名度よりも大事な事だから、このままずっとそういうスタンスを貫くのもありかなーと思う。

ってなわけで散々遠回りしてきましたけれども、今年一年を振り返ると、出会いと別れが沢山あって、周りの人間、友達に恵まれていることに気付けた一年だったなーと思う。あと英語をちょっと頑張った。まだ途中だけど。
そういえばしょうじ君にリアルで会ったのも今年だったな。
しょうじ君にオススメされたくるり、ちょっとずつはまっていって、今ではくるりの20回転をウォークマンで何十回転もさせてるよ。あとThe wisely brothersも聴いてる。その内語ろう。そしてまたオススメのアーティストとか教えてくれ。


そして、そんな俺の今年一年を漢字1文字で表すなら「愛」なんじゃないかなぁと思う。え?臭いのは顔だけにしろって?いやその悪口酷すぎない?(笑)
中学や高校の友達と久々に会って、時間が経ってお互いに容姿や性格が変わっても「やっぱり好きだな」と思える事が何よりも素敵な事に感じたんだよね。いや本当はずっと好きだったけどさ。ホモじゃないよ?
きっと、たまに話が噛み合わないとか、過去になんかしらあったとかそんなん実はあんまり関係なくて、今愛情を感じられるのならその人は絶対自分にとって大事な存在なんだよな。俺...おいどんはそう思う。逆にそれがどんな身近な人間であっても愛を感じなければ大事ではないのかというとそんな事もないだろうけどね。
愛を注がれずに育ったからこそ、友達とか自分で好きになった人にはちゃんと愛情を持って接したいなと思うんですよね。すごい周りの人に恵まれてるなーと思うし。
いや、なんかあいあい言っててキモいな俺、お猿さんか?まあ今日くらいは許してくれ。

そろそろ結に入ります。ほんと長くてすんません。
来年はどんな年にしたいかと言うと、まず精神面では「多様性を認めること」を心掛けたい。なんでもかんでも批判してしまうのは自分の愚かさ、視野の狭さ故だと思うから。視点を変えればほとんどの事は肯定できる。っていうような意識は常にちゃんと持っておきたい。とにかく、人としての完成を目指す事はこれまで通り続けていく。
そして学習面では英語ペラペラ&英語は河合偏差値70いきたい。あと20足りない.....
んで志望校に受かろう。それ以外は全てどうでもいい!と言いつつ写真ばかり撮ってるけど。今後はちょっと自重しないといけないな。
んで将来の事とかは受かってから考えればいいよな。これまで頭悪いなりにもそれなりに試行錯誤してうまくやってきたんだから、今後もきっと大丈夫だと信じよう。信じるに値する自分になろう。(なんかかっこよさげな事言った)

はい。てな訳で、みなさん今年も本当にありがとうございました。というかこのクソ長い文章を最後まで読んでくれたことにマジで感謝。イナズマイレブン
東京はまたなんか近いうちに地震とか来そうで怖いけど、とりあえず死なないようにね。頑張りましょう。
2019年があなたにとって素晴らしい一年になりますように。本当にそう願ってます。
それでは、エル・プライ・コングルゥ!

写真家とデジタルアーティスト

多くの日本人の命を奪った2018年の夏は、九月になるや否や驚くほどあっさりと去っていった。あれだけ苦しめられたにも関わらず、いざ終わるとなるとちょっと寂しいような気もする。けれどもお布団に入った時の気持ちよさはそんな名残惜しささえもどうでもいいと思わせてくれる。夏が暑かったからこそ、秋の涼しさが本当に心から嬉しく感じられるのかもしれない。昼過ぎに起きたほんのり温かい布団の中で、ふとそんな風に考えたりした。

 

さて、 秋と言えば芸術の季節。気温の変化とは逆行して、少し冷めてしまっていた俺の中の写真に対するモチベーションも最近ようやく熱を取り戻し始めた。大学受験をするつもりでいる俺は本来必死こいて勉強をしなければならないはずなのだが、何故か写真を撮ったり絵を描いたりと趣味に没頭している。意志薄弱な己が情けない。きっとこの怠惰癖は一生治る事は無いだろうと、自分でもほぼ諦めている。そしてやはり俺は頭がおかしいので、今日もヤフオクで12万円のカールツァイスレンズを落とした。写真の為なら金なんか惜しくない。そう思ってしまうくらいには俺は写真を撮る事に対する愛を今でも持っている。そんな愛する写真に対する想いを、何度目か分からないが今日も書く。

 

「綺麗だな」と思うのは絵も写真も同じなのだけれど、特に絵画、主に風景画を見た時には、それを何分間も眺めた後、「部屋に飾りたいな」と思うことがある。観賞する場合においては、実は俺は断然絵の方に魅力を感じる。絵はありのままの風景を越えた美しさを表現できるからだ。

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(アトリエちぎさんの絵をお借りしました)

趣味としての写真は、絵と違って簡単に撮れるから楽しいのだと思う。実際、カメラがまだ銀塩(フィルム)だった頃は、趣味としては今とは比にならないほどマイナーだった。フィルムを選んでセットして、設定を慎重に合わせてシャッターを切り、丁寧に時間をかけて現像し、印刷する。といった一連の工程があり、それはデジタルとは比べ物にならないくらいに面倒だった。でもその分フィルムカメラで撮った写真には独特の味があるし、だからこそ今でも年齢に関係なく多くの人がフィルムカメラで写真を撮り続けている。フィルムカメラもまた、ありのままを越えた美しさを表現しているのだと思う。

 

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(これも拾い画像)

銀塩時代にそうであったように、本来写真とはシャッターを切ってそこで完成するものであり、撮影者が表現をする場合はシャッターを切るまでの過程の範囲になくてはならない。しかしデジタルが主流となった今、『瞬間芸術』という写真の本質は見失われ、定義が曖昧になり、完成した写真にベタベタと手を加えるのがさも常識のように思われるようになっている。時間をかけて作るなら絵で良い。というか絵が良い。そこに「瞬間」としての美しさ、または「ありのままの美しさ」があるから写真は意味を持つ。

雲の形、建物の陰影、人々の生活といった森羅万象のその中に美しさを見出しその姿を永遠のものとする事こそが写真家としての最上の悦びであり、それが写真の役割であるからだ。

そのような写真家としてのあるべき姿、プライドを捨て、完成品である写真に表現を加えてアーティストを気取っている昨今のカメラマンの姿はまさしくデジタルアーティストであって、もはや写真家ではなくなっているのではないか?と俺は思うのだが、本人たちは気付いているのだろうか。いや、むしろデジタルアーティストである自分に酔っているパターンが多いのかな。それならそれで文句は無いのだけれど・・・まあナンセンスだね。なんか時々Twitterとかで「良い写真の撮り方教えます!まず、撮るときからどういう風にレタッチするかを考えます(ドヤァァァ!!!!)」とか言ってる奴いるけど、いやおま....w   おまんこ......舐めたいでござる。

良い写真撮れたから見せたろ!でいいだろ。加工して良い写真っぽいの作って「俺すごくね?」はダサすぎる。

これは個人的な感想なんだけど、どうしても写真を弄りたいっていう願望がある訳でも無く、手っ取り早くちやほやされたいって訳でもなくて、純粋にカメラを使って作品作りがしたいのであれば映画を撮ればいいのになぁと思う。かのマリーアントワネットも「写真加工するなら映画撮ればいいじゃない」と言ったとか言わなかったとか.....。

....まあそれはさておき、映画は写真と比べて敷居はかなり高いけど、みんなで一緒に一つの作品を作り上げたりとか、色々な複雑な要素を組み合わせたり出来るのは総合芸術である映画制作ならではの良さで、だからこそストレートに人を感動させる事ができる素晴らしいコンテンツだと思う。

 

まあそういう訳で、今日は趣味に対する自分なりの向き合い方を、漠然としたままだけれど文章にまとめてみました。絵や写真に限らず創作って楽しい上に人にも楽しんでもらえる本当に素晴らしい趣味だなぁと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。ではまた次回。

 

人と花

土手一面に綺麗に咲き乱れてる菜の花の一輪を手に取って眺めると、細部まで美しく造形されてるなぁと思う。誰に見られる訳でも無いのになぁ、と。いや、花がわざわざそんな事まで考えて咲いてるだなんて、俺だって本気で思ってる訳じゃないんだ。けれど、俺は二十一歳になった今でも、どうしても自分自身の価値観に当てはめて色んな物事を考えてしまう節がある。 今日は市役所とウェスタ川越に用があって外出した。ウェスタ川越から歩いて帰る途中、すれ違う人たちはみんなオシャレだった。眼球を目まぐるしく動かして、あっちの人こっちの人の服装に注視して歩く。赤、青、黄色、緑。一人一人違った色の服を着ていて、それが街に溶け込みアクセントのようになっている。そして自分の着ている服を見る。ズボンは黒いジャージで、上は中学生の時に親に買ってもらったジャンパー。当時からかなりブカブカで、今でもちょっと緩い。オシャレとはかけ離れていて、どちらかと言うとみすぼらしい恰好だと思う。相対的にオシャレしている人とオシャレしていない人を見ると、俺のように法律に従って、または防寒目的で服を着ているという人間の方が圧倒的にマイノリティだ。大体みんなオシャレしていて、それこそ俺からしたら恋人との初デートでも行くのか?ってくらい気合いが入ってる。そんな日常的にフォーマルな意識で生活をしていたら、俺なら疲れてしまう。そもそも都会の人間は他人になんて1mmも関心が無いのだから、一人で出かけるのにオシャレなんかする必要無いのだ。と俺は思うが、どうやら世間一般の考え方としてはそうでは無いらしい。オシャレとは一体何なのか?おっぱいは何故二つついているのか?川越駅西口から南古谷まで徒歩で帰る長い田んぼ道の途中、ずっと考えていた。ここで冒頭に戻るが、そこで俺は土手一面に咲く菜の花と出会った。一輪の菜の花を無情にもひきちぎってそれを眺めると、菜の花が俺に話しかけてきた。「よくぞここまでたどり着いた。勇者よ」その瞬間、俺の頭に俺の知らない景色が流れ込んできた。「これは......前世での俺の......記憶?」いや、気のせいか。というか花が喋る訳も無かったな。今日はなんだか暖かいから起きたまま夢を見てしまっていたらしい。それにしても、花は本当に細部まで完璧に美しく作られていて、それをまじまじと見つめていたら何かが分かったような気がした。そうだ、街ですれ違った沢山の人はみんな花なんだ。誰に見られていなくても綺麗であろうとするのは遺伝子に刻まれた宿命なんだ。では、俺は一体何なんだろう。人はみんな違う種を持っていて一生懸命に花を咲かせようとすればいいとSMAPは言うけれど、俺は種なんかいらないし花なんか咲かせなくていい。雑草みたいにその辺に生え散らかっていたい。いや、むしろ芋のように土に埋まっていたい。そうすれば誰も俺に気付かないし、花も咲かせなくてもいい。いや、芋は花が咲くか。じゃあもううんこでいいや。道端の犬の糞。いや、やっぱりどうせなら声優の天宮天ちゃんのうんこがいいな。みんながみんな花じゃない。花があって、木があって、草があって、うんこがある。世の中にはお洒落なJKもいればハルヒの格好をしたおじさんもいる。大切なのはみんなが花であることじゃなくて、ダイバーシティが認められる世の中であることなんじゃないのかな。俺はそう思う。いやまじでこれ何の話?

おわり。 

お気に入りの写真を貼ります

「川越の原風景」

まるひろの屋上の遊園地の観覧車ですね。

部活の友人と放課後に二人で来て撮った。綺麗なだけの写真ってのも良いよね。

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「雨上がり」

休みの日に一人で自転車で毛呂山?の鎌北湖に行った帰りに撮った写真。

これはコンテストでも賞を貰ったし、多分今まで撮った中で一番良い写真なんだと思う。まあ、これも単なる綺麗なだけの写真なんだけどね。

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大久野島の野良ウサギ」

青春18きっぷで旅をした時の写真ですね。広島の、うさぎが沢山いる島です。

行ってから知ったのですが、昔はこの島で毒ガス兵器の製造がされていたらしいです。

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「放課後の昇降口」

バスケ部のポスターや男子生徒(うえた)の表情がなんとも良い味を出してますね。

 

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「秋の風物詩」

金色の稲穂の絨毯と鮮紅の彼岸花。奥に川越の市街地が見えるのがポイント高いです。

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南古谷駅

僕の(元)最寄り駅です。南古谷はいいところですよ。是非遊びに来てください。ちなみにこの写真はオートHDRを使ってます。

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「月明かり」

松元と自転車で飯能に行った時に、途中のバス停で撮った写真。

俺が今までに撮ったモノクロ写真の中で一番のお気に入り。

深夜の4時くらいだったかな?小雨が降ってた記憶がある。

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「富山美人」

これは社会人になってから撮った写真です。ネットでモデルを募集したら来てくれました。募集したら予想以上に人気が出てしまって、処理しきれずやめました。

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以上。

たまには写真を通して昔を振り返ってみるのも良いですね。

むしろ、このために俺は写真をやっていたと言っても良いくらい。

需要があればまたやります。

さとうゆうじの冒険

さとうゆうじは家を出る。そしてこう言った。「あちぃ」

さとうゆうじはまず自宅から徒歩1分の場所にあるセブンイレブンに入った。

店員のおじさんは言う。「おしゃしゃしゃませぇ~」

さとうゆうじは言う。「お、おん」

さとうゆうじはエロ本を持ってレジに並ぼうと思ったがやっぱり恥ずかしいので万引きした。

家に帰っておちんちんをシュッシュしていたら、とても良い事を思いついた。

「女子高生とえっちしたいナリ。高校に行くナリ」

さとうゆうじは寸止めして母校である川越総合動物園へと向かった。

しかし頭が悪いので、ズボンとおぱんてぃを家に忘れてきてしまった。

さとうゆうじは虚空を見つめながらつぶやく。「ヤベェ」

仕方がないので、さとうゆうじは道に落ちていたビニール袋をパンツの代わりにした。

そのビニール袋は透明なのであまり意味が無いが、さとうゆうじはそれで幸せだった。

さとうゆうじは言った。「お、ええやんこれ」

歩くこと24分。ようやく川越総合動物園に到着した。

さとうゆうじは何も言わなかった。

しかし、心は「疲れたナリ」と叫びたがっていた。

さとうゆうじは頭が悪いが、知っていることが3つあった。

一つは、川越総合動物園には女子高生がたくさんいること。

二つ目は、おちんちんをこすると気持ちがよくなること。

三つめは、城本が日本一の殺し屋だということ。

学校に入ると、まずは女子トイレに入った。

間もなくすると、誰かが入ってきた。ドアの下から覗くと、超絶美少女がそこにはいた。

さとうゆうじはうきうきしすぎてつい声に出してしまった。「ウキウキウキー!」

女の子はびっくりして「きゃっ!」と悲鳴を上げ、おしっことうんちを漏らしてしまった。

さとうゆうじはやばいくらい勃起した。

「あらあらあら」

女の子は恐怖で腰が抜けている。そのまま後ずさるが、壁際に追い込まれてしまった。

女の子は目に涙を浮かべる。

「やだぁ・・・誰か助けて・・・・」

さとうゆうじは、「どうしたんだい?腰が抜けてしまったのかい?」

とさわやかに言う。

しかし、その眼は血走り、瞳孔は開いている。

さとうゆうじは続ける。

「もしよかったら、僕とエッチしませんか?」

女の子は首を横に振る。

「そうですかぁ。じゃあとりあえずしゃぶれや。もちろん下のお口でな!!」

そう言いながらさとうゆうじは己のイチモツを握りしめ、少女のアソコへ近づけてゆく。

「ふひひひひひ、ふはははははは、ふぅーひひひひいひひ!」

「やめてください!いや!やめるのです!」

さとうゆうじのイチモツは抜かりなく、少女の墨染の草むらを掻き分ける。

「あれぇ、あれぇ、やめてくだされ、お代官さまぁ!」

「ふひひひひ!ふひ!ふひ!ほれほれほれほれ!」

さとうゆうじのたくましい両手が、少女の衣服をはがし、白く透き通った肌が露わになる。

「おやおやおや。これは、鏡餅ではありませぬかぁ!おひょひょひょひょー!」

さとうゆうじは鏡餅を舐める。

「あっ、あっ、だめぇ!」

「ふひひひ!おまたのワレメから汁が溢れてまいりますぞぉ!これでは溺れてしまいそうだ!ふひひひひひ!」

ぷちょぷちょと音を立てて、少女のひめやかな部分を、なめて、そそる。

「あっ、んっ、やめてぇ!」

小刻みに震えるアソコを、さとうゆうじの最も男らしい部分で、くすぐり、焦らす。

「あっやべっ」

さとうゆうじは挿入する前に射精してしまった。

 

GAMEOVER

 

 

 

今日の出来事、すなわち日記

目が覚めたらお昼前の11時22分。

仕事はお休みで、今日は何をして過ごそうかなぁと思いながらも布団を被り直し二度寝する体勢になる。

昨夜はさほど夜更かしをしなかった為、二度寝はできそうになかった。

とりあえず新しいパソコンを起動し、AVAをインストール。

インストール完了まで3時間。

他に何もすることは無いし、二度寝もできない。

助けて!死んじゃう!誰か!

そう叫びそうになったが、俺はふと我に返り奴の存在を思い出した。

そう、俺は夏の1か月間、埼玉からマイフェイバリットライトアームを呼び寄せていたのである。

俺はすぐさまLINEを開き、マイフェイバリットライトアームのA子(仮)を呼び出した。

パンツを履きズボンを履き、卓球メーカーのバタフライのシャツを着て、リュックにグローブを2つ入れて外に出る。

寮は隣同士。外に出たらA子は既に待っていた。

 

空は濃い群青色で、くっきりとした輪郭の雲が雄大に浮かんでいた。

夏の日差しが照り付けるが、風は冷たく気持ちが良かった。

壁のある場所を探してしばらく散歩したら、用水路にエビやウグイの稚魚を発見したりして、ああ、田舎の夏だなぁと感じた。

結局壁は見つからず、神社の横の日蔭でキャッチボールをすることにした。

俺は久々で投球フォームが分からなくなっていた。

A子は相変わらず女子とは思えない速球を放ってくる。

グローブで捕球すると、「バシン!」と良い音が鳴った。

体つきはすらっとしているが、脚や腕を見ると引き締まっていてしっかりと筋肉がついているのが分かる。

女の子らしくないとも言えるが、女の子らしい女なんて一緒に遊んでもつまらない。

運動して腹が減った。

喫茶店のチャオでオムライスとカレーを食った。相変わらず美味しかった。

スーパーでお菓子を買って帰って寝た。

かなり長い夢を見ていた。

真っ暗な森の中を一人歩いていたら、誰かの声が聞こえてきた。

会社の同い年の友達S太とA子だ。

(こいつらは会って1か月も経たないが、どちらも俺の友達ということで一瞬で仲良しになっていた)

俺は寝ぼけまなこで起き上がり、パンツ一丁で窓を開けた。

A子はそんな俺を見て「気持ち悪い」と一蹴し、早くお祭りに行くぞ!と囃し立てた。

3人でお祭りに行っておっさんにポテト買ってもらって神社行って太鼓見て、そんな感じでまあそれなりに楽しんだ。

友達が隣に住んでるって予想以上に素晴らしいなって心の底から思った。

来月になったらA子は帰ってしまう。

埼玉には家族もいるし、彼氏もいる。

俺なんかただの友達だ。流石にもう会わないってことは無いだろうけど、こうやってキャッチボールしたりすることは2度と無いかもしれないなぁ。

そう思ったらなんだか悲しい。

ルームシェアはストレス溜まるから良くないけど、隣同士に部屋借りて住むのは最高だと思う。

 

誰か、俺の隣に引っ越してきてくれ。