ひできのブログ

基本的には自分語りです

初デートはサイゼリアで。

あ、サイゼリア。知ってる?ここ、安くておいしいんだよ」彼女はそう言って店内に入り、慣れた手つきで順番待ちの紙に名前を書いた。席に案内されて、僕はソファーに座り、彼女は椅子に座った。当時中学生だった僕の財布には前借りしたお小遣いの1500円しか入っていなくて、けど彼女に貧乏だと思われたくなかったから、ハンバーグステーキのセットにドリンクバーを付けた。不慣れなフォークとナイフに手こずる僕を見て、彼女は「お箸使えばいいのに」と言って笑っていたけれど、直後、彼女はミラノ風ドリアで舌をヤケドして涙目になっていた。さっきの仕返しに笑い返してやろうと思うけど、急に声が喉に詰まる。頬を四角く膨らませた彼女があまりにも可愛くて、見惚れてしまったのだ。僕は慌てて顔を逸らす。群青の壁や天井を飛び回る天使が、ただの小太りな子供にしか見えなかった。本当はこいつらと一緒に僕も店内を飛び回りたい気持ちだったけど、何も考えてないような顔して、氷を口に含んだ。コーラを纏った氷の、持て余すほどの甘さを、僕は今でも忘れられないでいる。

…僕は切り分けたA5ランクの神戸牛を口に運びながら、カトラリーに関連付けられた思い出を蘇らせていた。「どうしたの?」目の前の女性が、急に黙りこくった僕を訝む。
「僕も成長したなあと思って」
「あー、ナイフ?」
「そう。鋭いね。ナイフだけに」
「言うと思った」
「好きだよ、葵」
「どーも。でもTPOを弁えようね」
なんだか今日は嫁がいつにも増して素っ気ない。お会計を済ませた後も、すたすたと一人で歩いて行ってしまった。
「おーい、待ってよ」
僕が追いかけると、バン!という音がした。葵は自動ドアに肩をぶつけて痛がっていた。
「あはは!」僕は声を出して笑った。
ああ、やっぱり。
うちの嫁は天使だったんだ。


パンツが無くなる理由

靴下って片方だけ無くなるよね~と言うと共感を得られるが、「あとパンツも何故か知らないうちに減ってくよね」と言うと怪訝な顔をされるのは何故なのだろうか。確かに、パンツは靴下より大きい分、見失ったとしてもすぐに見つかる可能性は高い。だがしかし、無くなるものは無くなるのだ。原理は分からない。現実的に考えれば「部屋が汚すぎて脱ぎ捨てたパンツが行方不明になっている」といったところであろう。しかし、それにしても無くなるペースがあまりにも早すぎて、本当は誰かに盗まれているんじゃないかとか時々考えてしまう。ある日、友人が「そんなに言うんならクローゼットに隠れてパンツを監視しようぜ。もし本当にパンツが消えたら5万円やるよ」と言ったので、俺は友人を部屋に招き、二人してクローゼットに入り込んだ。5分が経過した。何も起こらない。パンツが入っている引き出しに異変は無い。10分が経過した。息を潜めている事には慣れたが、集中力が切れてきた。もうあと10分して何も起こらなければ出よう。そう思った矢先、突如玄関をノックする音が聞こえた。その十数秒後、「ガチャリ」という音がしてドアが開いた。俺は暗闇の中で友人と目を見合わせた。まさかこんなことになるなんて・・・。おじさんは、こっそり、という様子でもなく、スタスタと部屋まで歩いてきて、迷うことなくタンスの下着が入った引き出しを開けて中にあった俺の下着をポケットに突っ込んだ。

ここから友人視点に切り替わり

おじさんが部屋を出て行ったあと、俺たちはクローゼットからそっと忍び出た。「ほらな?言っただろ?」「いやまじでパンツ盗られてたな。まさか本当にこんなことがあるとは・・・」「くっそ~、あの変態じじい。許せねぇ」「警察呼んだほうがよくね?」「いや、それはちょっと・・・」「・・・?呼んだほうがいいだろ?にしてもクローゼットあちいな、喉乾いた。なんか無い?」「あー、なんもないな。とりあえず買いに行くか。途中であの変態が見つかるかもしれんし」「おっし、行こう」俺たちは二人でスーパーへの道のりを歩きだした。道中、友達は「あ、ちょい、靴紐直すわ」と言ってしゃがみこんだ。その時俺はある光景を目の当たりにし、すべてを察した。

僕は猫である。名前はどこかに置いてきた。

時々誰かの部屋に入れてもらうことはあるけど、飼い猫ではない。

 

「ほら、早くおいで。誰かに見られたら怒られちゃう」

 

彼女は大きな扉をなんなく開け、僕はその隙間から部屋に入った。彼女はソファに座り、僕は彼女の膝に座る。布越しに伝わる暖かさが、冷えた体に心地よい。今日も彼女からは良い匂いがする。どこかで、何度か、嗅いだことのあるような、あの甘い匂い。僕はその匂いが嫌いではなかった。

その日、彼女は僕を抱きしめて言った。

「ごめんね」

僕は賢い猫だから、彼女が何を言っているのかがなんとなく分かった。

坂の上の空き地の木にピンク色の花が咲くと、いつも誰かがいなくなる。だから、あれは多分、お別れの言葉だ。

僕の思った通り、それから彼女の姿を見かけることは無くなった。

餌はおばちゃんがくれるし、通りすがりの大学生はいつも構ってくれる。でも、やっぱり何か物足りなかった。

「あれ?にゃん次郎、こんなところまで来たの?珍しいね」

「遠出かな?」

「気を付けてね~」

ある日の夕暮れ時。住宅街を歩いていると、急に彼女の匂いがした。

僕は匂いのする方へ向かって走った。でも彼女はいなくて、匂いだけが漂い続けていた。まるで街がこの香りを纏っているみたいに思えた。もしかして、彼女は街になってしまったのだろうか。いや、そんな筈は無いよな。でもこの匂いは、間違いなく彼女の匂いだ。

匂いのする方へ向かって歩くと、一本の木が立っていた。匂いの正体は彼女じゃなくて、オレンジ色の花だった。

木に近づいて、花の香りを嗅いでみる。ああ。懐かしい香りがする。もしかして、彼女は花の妖精だったのかな。だから急に消えていなくなっちゃったのかな。

きっともう彼女には会えないのだろう。もうあの暖かい膝に座ることはできないのだろう。あの優しい声で名前を呼んではもらえないのだろう。そう思ったけど、でも・・・でも、ここに居れば、あの穏やかな匂いに包まれていられる。

目を閉じると、本当にそこに彼女がいるように思えた。そうだ、今日はこの木の下で眠ろう。そうすれば、夢で彼女に会えるような気がするから。

 

ヒグラシの声がだんだん遠ざかって、僕は永遠に彼女の猫になった。

 

 

「やべえ外がゾンビまみれだ」

「くっそー!とりあえず俺が行って殺してきます!」

「えぇ!?危ないよ!」

「ぐあ!噛まれた!」

「えぇ!?ゾンビになっちゃうよ!」

「ニャーン」

「ネコになっちゃった!?」

「ゾンビに噛まれると猫になるのか・・・!」

「俺噛まれてこようかな」

「お、俺も・・・」

「私も!」

 

こうして全人類は猫になった。

 

 

コーヒー一杯のイマージュ

 

地味なメタルフレームの眼鏡と文庫本をテーブルに置き、彼女はコーヒーカップに口つける。「・・・よくわかんないけど、美味しい気がする」「ね。なんというか・・・深みがあるよね。よくわからないけど」僕がそう言うと、彼女はニタリと笑って「絶対よく分かってないでしょ」と僕をおちょくった。やれやれ。まったくもってその通りだ。言い返す言葉が見当たらなかったから、彼女の文庫本に挟まっていた栞を引き抜いてやった。「あの、小学生みたいな事しないでもらえます?」僕を睨みつける彼女。まるで変顔をしているみたいで笑いそうになる。「本当に謝謝。アニョハセヨ」僕がそう言うと彼女は「謝ったから許す」と言って、またニタリと笑った。謝謝もアニョハセヨもごめんなさいという意味ではないのだけれど、気付かれなくてモーマンタイだ。 僕はにやけそうな口元を隠すためにコーヒーを飲んだ。キリマンジャロの芳醇な香りが、僕らを包み込んだ。