ひできのブログ

基本的には自分語りです

天使と天使と悪魔

赤ちゃんは天使だなんてよく言われるけど、どうやら俺は天使どころか人間ですらなくて、悪魔としてこの世に誕生したらしい。それに気付いたのは20代も半ばになってからだった。

 

高校三年生の時、初めて自殺未遂をした。

就職するのが嫌で親に「実家暮らしでフリーターしたい」と言ったら、「それは許さない。実家から出ていかないなら死ね」というかなり厳しいお言葉をいただき、「そっか、じゃあ死のう!」と思って突発的に首を吊った。

ただ、一般的な首つり自殺ではなく、ネットで見つけた生ぬるいやり方(うつ伏せ方式)をした為に数分後に目を覚まして、そこで「一回死んだと思って頑張ってみるか」とパソコンで就職先を探して、石川県の旅館で正社員になった。

最初の一歩さえ踏み出してしまえばあとは何とかなるもので、仕事を始めて一年経つ頃には働くのが楽しくなっていた。

けれどもどこか満たされないような感覚がずっとあった。そして、「好きな人を見つけて結婚したら満たされるのだろうな」という謎の確信もあった。

結婚するにはどうしたらいいか。女にモテる為にはどうしたらいいか。

そうだ、高収入になろう。

俺は子どもが好きだったので、教員になることにした。教員なら給料も安定しているし、公務員ということで女性ウケも良いだろう。と考えた。教員を志望する理由として、これほどまでに不純なものは他に無いだろうな。勉強は中学の頃からサボってたけど、元々国語は得意だったし、退職後半年間オーストラリアに行っていたから英語もそこそこ得意になっていて、センター試験3科目で8割を取るのはそれほど難しくはなかった。

大学入学の一年前に実家に戻った。その時に群馬の彼女ができて、その子があまりにも可愛くてあまりにも良い子だったから、結婚しようと思った。けど、大学入学前からSNSで同じ大学の同じ学科に受かった女の子から好意を向けられていた俺は、大学で女遊びができることを確信し、「絶対浮気するからその前に別れたい」という、あまりにも自己中心的で人として最低な言葉と共に初めてできた彼女との関係を終わらせてしまった。

大学付近のアパートに引っ越してすぐ、その子をお持ち帰りした。

というか、家に連れ込んだのは俺だけど、なんかもう、そうするように仕向けられたくらいスムーズにお持ち帰りできて、パコれた。いやパコられたと言うべきか。イケメン俳優が熱狂的なファンをお持ち帰りするくらいスムーズだったし、何故かは分からないけれど、実際それくらいのバカデカ激重感情をいきなり持たれていた。こんなクズ男を好きになっちゃって可哀想だなと思った。

結局付き合うことになったものの、顔も体型も性格もあまり好みじゃなかったので、「日常生活や大学生活で面倒を見てくれる人」として付き合って利用すればいいか、とか思っていた。往々にしてモラハラ人間は他人を「自らの幸福の為のツール」としてしか捉えられないそうだが、まさに俺はその典型的な例だと自負している。

クズ男が、好きじゃない彼女を大切にすることなどできる筈もなく・・・。

俺は平然と浮気とモラハラを繰り返し、あろうことか暴力まで振るうようになった。

けれども付き合い始めて1年、2年、3年と月日を重ねていく中で、俺は彼女から向けられる揺るぎない好意に居心地の良さを感じるようになっていたし、子どもみたいに豊かな愛嬌や、逆に人前に出るとしっかり者だったりするギャップにどんどん愛おしさを感じるようになっていた。「好き」から始まった関係ではなかったから、恋を通り越して愛だった。「好き」と言うのは恥ずかしくても、「愛してるよ」と言うのは恥ずかしくなくて、いつも言っていた。でもそれはもしかしたら、彼女を傷つける自分への嫌悪を和らげる為の免罪符の言葉だったのかもしれない。

というか、そもそも「愛」の基準って何だろうな。俺如きが易々と使って良い言葉ではないのかもしれん。俺の彼女への感情は、単なる「依存」と言えばそれはそうなんだろう。それはそれとして、依存してしまうくらい大好きで、心の底から大切に思っていた。クズの俺がこんなきれいな言葉を使うべきではないのかもしれないけど、世界で一番大切な宝物だと思っていた。

 

大学三年生になる頃には、顔も、性格も、体型も、匂いも、声も、全部が好きになっていて、『援助交際』の歌詞じゃないけど、「彼女を幸せにする為に俺は生まれてきたのだ」くらいに思うようになっていた。(ちなみにそれまでは「シュタインズゲート」という作品に出会う為に生まれてきたと思っていた。)

毎日一緒に過ごして、毎日満たされていた。部屋で二人でスマホをいじっていたら、つまらない異世界転生系の漫画も面白く感じたし、スーパーに買い物行くのも楽しく思えた。俺は基本的にウサギみたいに一人でいると寂しくてストレスを感じてしまう生き物だから、いつも一緒に行動してくれる彼女の存在は本当にありがたかった。

バカみたいな話だと思われても仕方がないが、実は俺は高校三年生の時に青春18きっぷで旅をしたことがあって、その時に出雲大社で「可愛くて優しい彼女がほしいです。貧乳でもいいので」とお願いしたことがあった。彼女はまさにその言葉の通りだった。というか気づいたら言葉の通りになっていた。だから、神様に祈りが届いて俺に遣わせてくれた天使なんだと本気で信じるようになった。

それなのに結局俺は彼女を大切にすることができず、浮気もモラハラも暴力も競馬もやめることができなかった。「大事に思っていること」と「大事にすること」にはあまりにも大きな壁があることを分かってはいたんだけど、自分の暴走しがちな感情も、性格の悪さも、何ひとつ改善することができなかった。

彼女は「暴力さえしなければ良い彼氏なのにね」と言ってくれていたが、明らかに彼女の中で正常性バイアスが過剰に働いてしまっているのを感じて申し訳なくなったし、そんな精神状態にさせてしまっている自分が情けなかった。出雲大社の神の力なのだとしたらそれはもはや悪しき呪いだし、解いてあげないと可哀想だと思った。

俺は映画の『愛がなんだ』を観て、ヒロインのテルちゃんと彼女って似てるなと思ったんだけど、テルちゃんはクズな彼氏マモちゃんに対して「好きになるようなとこなんか一つも無い筈なのにね」と言っていたので、彼氏に対しての認識の仕方、というか「好きの種類」みたいなものは違うんだな、とか思った。

「愛がなんだ」というタイトル、なんかそれっぽい感じのタイトル付けたんだろうなって勝手に思い込んでいたけど、今になると意味深さが理解できる。

愛がなんだ。愛してるってなんだ?愛と呼べるような立派な感情じゃなきゃ人を好きでいちゃだめなのか?相手からも愛されてなきゃ相手を好きになっちゃだめなのか?

そういう、恋愛にまつわるありきたりで哲学的な問いを内包したタイトルなんだろうね。知らんけど。

 

「愛がなんだ」とは逆で、マモちゃんはテルちゃんを捨てたけど、俺は彼女に見捨てられた。彼女は会ったことすら無い俺を好きになるくらいなので、男を好きになるハードルが低いことは分かっていた。そして、彼女はまるでアイドルのように魅力的な女性だから、いつかどこかのタイミングで俺じゃない誰かを好きになって、そしてその相手も彼女を好きになって、そうして俺は捨てられてしまうのではないか、という不安が常にあった。

だからフラれてしまった現在でも、こうして冷静にブログを書いたりすることができている。もちろん、辛い気持ちを文章として吐きだして少しでも楽になろうとしている側面があることは否めないが、本当にそこまで辛くない。

体重は3キロ4キロ減ったし変な咳が出るし寂しいし彼女の素敵だった瞬間を一日に何度も思い出して悲しくなるけど、フラれて数日経ったらもう泣かなくなっていた。

一緒に過ごした街にでも行かない限り、もう彼女のことで泣く事は無いと思う。今際の際に思い出して泣くことはあるかもしれないけど。

俺はモラハラ男特有の好青年のペルソナとクズ感によって時々女の子に好かれることがあるから、彼女を作ろうと思えばまた作れるだろう。

そして、付き合って数か月数年もしたら、今度はその人が「世界で一番大好き」になっているのだろうね。女の子ってみんな優しくて、みんな可愛いから。

彼女にフラれたことを必要以上に悲観したところで何の得も無い。

過去を振り返ってばかりいては今を生きることはできない。

これまで彼女を幸せにできなかったからと言って次の彼女を幸せにできないという確証は無いのだ。

 

俺は悪魔として生きてきた。

もう悪魔はやめて、人間として生きたい。

この記事を全部読んだら「いや生きたいじゃねーよ死ぬべきだろ」と思うのではないか。

すいません、まだ死にません。

この時代の日本に生を受けたからには、どうしても、ワンピの最終回だけは見届けたいんです。